古墳時代に

韓国

百済の首都で

倭人が

埴輪を作っていた痕跡・・・・!!!




 

 



韓国で埴輪

笑撃的な単語の配列です。笑

埴輪よ!そこまで出張してたのか!?



いやいや、日本人もびっくりですが、

こういう半島内の倭人の遺跡は韓国人さんたちにとって、かなりの困惑を伴う発見なようで、

例えば昔は、韓国南部で日本式の前方後円墳がみつかると「発掘を止めて埋めてしまう」と、日本で噂されていました。


2,3年前でしょうか・・・・に見つかった古墳も、「発見されたのは日本式の古墳であり歴史学者たちは困惑している。」というような書き方の記事だったような、うろ覚えな記憶があります。


しかし今回の発見、韓国南部だけではなく首都ソウルにまで日本人が住んでいた痕跡が見つかってしまいました。


そんな!百済の首都にまで、倭人の半島侵略の痕跡が!?笑


いえいえ、百済の職人さんたちの官営工房の隣の区域に、倭人の職人さんたちが居住して活動していたという痕跡。 「官営工房」というのがミソ。埴輪もミソか。



>韓日古代史を研究してきた歴史考古学界の一部の専門家たちは驚きを隠せずにいる。


「一部の専門家たち」とは、どういう系の人たちでしょうかね。左派系の人たちでしょうかね?笑 ファンタジー系の方たち。




韓国の左派さんたち、あるいは韓国人さんたちの半数(以上?)は、理念が事実より上位であるというお考えをお持ちです。

現状現実に合わせるのではなくビジョンに向かって「進歩」するのだと言うのが「進歩系」の考え。

(韓国ではリベラルを「進歩」と言い、「保守」と「進歩」の戦いなのです。「保守」と「革新」だとどこか痛いところがありますが、「保守」と「進歩」ですと、「進歩」の方が有利に見えません?だって人間の歩みは「進歩」の歴史ですので、当然進歩を支持したくなりますもん。)

進歩する姿は正しいです。ところで理念に突き進む姿はちょっと厄介な場合もあります。特に歴史に関しては、理念優先でグイグイ歴史を進歩させる彼らの立場は、日本としては厄介です。


と、普段はそういう立場なのに、このたび、百済の首都にまで倭人が侵略的にではなく、官営で公然と居住し活動していた。そして埴輪を作っていた。笑 

これはウリナラファンタジーや、韓国人の抗日独立の歴史や精神、あるいは「百済が日本という国を作った説」「天皇は百済系説」に影響する可能性があります。

もしや「日帝強制占領期」にも、日本人は平和に朝鮮に居住し活動していたのだろうか?

侵略的移民か、平和的移民か。

認めざるを得ない事実・・・・?



秀吉の朝鮮出兵、韓国では「壬申倭乱」では、日本は朝鮮の優秀な陶器職人を大勢連れ去った。まあそれは事実。このように、

朝鮮が日本に文明を教えてあげた歴史。日本が朝鮮の文化に時には教えを請い、時にはを野蛮にも収奪した歴史。なぜなら朝鮮は文明の先進国だから。

まぁそうではあったのでしょうね。これが韓国史全体を通した歴史観なのですが、今回の埴輪はその歴史観に矛盾する事実なのでしょうね。

なぜ、もっと古い時代に、後進国である倭の技術者が先進国の百済にいるのか?





そうねぇ。きっと、そういう時代もあったのね。





あまりにも字面が面白いので、もう一回書かせてください。笑




      百済の首都で ・・・・・  倭人が  ・・・・・ 埴輪を作っていた




韓国南部に倭人の古墳が続出し「任那日本説」「少なくとも韓国南部には倭人が(侵略者として?敵対的に?平和的に?)居住していた」ことを認めることも、韓国の歴史界では難しかったのに、

百済の首都にも倭人がいて、国策で支援されていたとするのは、抗日独立運動史観的にも、親日派の清算的にも、ちょっと都合が悪そうです。
 


いえね、これが保守系、朝鮮日報の記事ならば、「昔から韓日平和交流はあったのだね」という主旨で記事が書かれて、左派系読者さんたちから「朝鮮日報は親日派だ!」といつも通り批判される構図が見えるのですが、


この記事を書いたのは左派紙のハンギョレですからね。どういう意図で独占スクープ記事を書いたのだろうか?

「驚きを隠せない一部の専門家たち」の立場で書いたのかな?




それとも、わたしが考える以上に、既に左派さんたちまで「親日転換」されたのかな?

親日と言うよりも、親米。左派さんたちも中国よりもアメリカに乗り換えたのかな?

よりどころにしてきた中国、ロシア、北朝鮮へのリスペクトとか、経済的旨味とかが、なくなっちゃったかな?

韓国はウクライナに武器を提供しています。これは韓国政府はロシアに敵対することで腹が決まっていることを意味しますが、

左派ハンギョレまで腹を決めたのかな?




さて、埴輪の件、

わたくし、素人が普通の感覚で考えますと、百済と倭の国は国交があり、百済が亡びる時には援軍を出したり百済が亡びた暁には王族の移民を迎え入れたりしてましたので、

百済で埴輪を作る意味といったら、親交のあった王族や豪族の逝去の際に、古墳用の埴輪を贈り物にしたんじゃないかなーなんて思います。

だって、近しい人の訃報を聞くとまず、喪服と一緒にお香典や花輪を準備するじゃないですか。

実際、天皇家の何代目かの皇后が百済系というらしいでしょ?だったら親戚の訃報の時には古墳用の埴輪を贈ったかもしれない。海を越えてね。

古代韓国の古墳では金冠が発掘されたりしますが、王でないなら金冠を贈るわけにもいきませんし、金銀宝物を送って海に沈むリスクはもったいないし、たくさん必要な埴輪を作って送ってあげよう!とか・・・?

その場合、日本の古墳の埴輪にメイドインコリアがあったりするかもしれない。


 
また実際、韓国南部にも前方後円墳がいくつも実際に存在するんですから、韓国内でも埴輪の需要があったことでしょう。

問題は、その埴輪が日本から送られてきたものか、韓国南部の現地で作られたものか・・・・それが百済の首都でも作られていたことがわかってしまった。

そうすると、どういうことになるのかな。百済の王朝が、韓国南部、あるいは半島のどこかに居住する倭人たちとどういう関係にあったか。


(これ神戸市の古墳を復元したものだそうです。ハンギョレ記事より。ハンギョレは神戸市の観光サイトから持ってきたようです。)