(合掌)
(みなさまの幸せを願います。)
自然の力は常に、人の対策などを軽々と超えて来ます。
自然に対する畏怖の念。
亡くなった方は戻らず、傷ついた心と記憶はまだ痛むことでしょう。
痛みを抱きながら、当時から今日までの努力とその成果は確実に積みあがっています。
あの膨大な瓦礫、膨大な海砂、流された家や車や船、人の手ではとうてい成し得ない自然の圧倒的な力を見せつけられながらも、
それを人の手で修復するという作業。
砂漠の砂を運ぶアリのような・・・・
いったん更地にすることすらも想像もできないほどだったのに、そこに新しいランドマークを再興するのです。
再び、人の住むコロニーを再建する。
それが可能なんだな・・・・。
それは、人の力に対する畏敬の念です。
そしてあまり考えたくはないのですが、
次の地震も必ず来る。
いつか必ず来る。
どこかに必ず来る。
その時にはもっと柔軟で強靭なわたしたちでありたいとは思うのですが、
自然はいつも人間を凌駕してきて、
わたしたちはさらなる畏敬の念を抱くのです。
恵み多き、天と海と大地。
(今の脳内BGMは「大地讃頌」)
( 母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある 大地を愛せよ 大地に生きる人の子ら その立つ土に感謝せよ )
24年1月1日の能登半島地震の時は、
5mの津波が予想されましたが、運よく1mで済みました。
海岸線が4m隆起したのも幸いしたかもしれません。
東日本大震災の時は、地盤が70cm沈降していたと言います。
地盤が沈降すれば、何もなくとも海の水が来る。
水に浮いている木の板を手で押し下げるようにです。
予想されている南海トラフ地震、また首都直下型地震ですが、
都市部の津波や沈下は、広い平野や人口密度、交通のマヒを考えると、水平避難は難しいかもしれません。
一方では、垂直避難は容易いかもしれません。高層ビルがあるので。
(各ビルごとに孤立しますが)
(高層ビルの倒壊は危険ですが、大きな揺れがおさまってからの津波には有効)
また一方では、都会の地下街、あれは危ないんでしょうね。
停電になっても、まぁ誰もがスマホを持ってますんで、懐中電灯にはなりますね。
運よく全員が地上に退避できたとして、
地下都市は、一度泥水や海水に浸かっても、水がはけるようになっているのかな?
天が落ちるかもしれないと心配することを「杞憂」と言って笑います。
けれども、地が割れたり山が崩れたり海が押し寄せることは、憂いても憂いきれない。
とはいえ、憂いながら一生涯を暮らすのも、違いますんで、
憂いながらも、天の力、地の力、海の力、人の力に畏敬の念を持ちつつ、
感謝して、もう、今をせいいっぱい幸せに暮らすしかないのだろうなー。
こういうこととか、今戦争中の国のことなどを考えていると、
韓国経済が危ないだの、サムソンの経常収支がどうのこうのだの、物価が爆上がりだのなんか、
それくらいどうってことないじゃん、とりあえず耐えるから、その間になんとかしてくださいよ、
の程度に思ったりします。笑
(きれいな赤でもないリンゴ1個300円、천해향というみかんの品種(日本名「せとか」だそうです。これも勝手に流出した品種?)が1個200円だから、おいそれと果物も食べられない。)
いえね、韓国の産業の中心軸が危ないとか、
少子化がものすごいとか、
物価がちょっと、とか、
これも、確実な亡国の道なんですけどね。
長期的、いえ、中期的な亡国の一途を、韓国在住者としては、「何とかしてよーマズいじゃん!」と叫ばなけりゃならないのでしょうが、
短期的に亡国してる国々が実際にありますので、比較として、今の現状は十分マシなんじゃないかと思えてしまう。
しかしそこに目を奪われず、
自分の分野でせいいっぱいあがいてくれている韓国の産業界のリーダーや技術者さんらがたくさんいらっしゃることを願い、またお願いする次第です。
(国としても、稼げなければ、貯えを食いつぶした後は食いっぱぐれるしかない)
(少子化については、もうどうやったらいいのかよくわかりませんわ)
(家やお金は支援できても、結婚や子供に対する感情はどこから持ってくるのかね)
(それはいずれ別記事にでもします)
さて今日も話の筋があっちこっちに飛んで終わるのですが、
強引にさいしょに戻しますと、
砂漠の砂を運ぶ、無力に見えても群れて何かを成し遂げられるアリの群れの一匹として、
末の希望を持ちながら今日の努力と幸せを黙々と生きますので、
俯瞰したときに
自然の力の中、人の力の中で、美しく見えますように。
おまけ
2024 3月11日
ゴジラ、やったね!
アカデミー賞だ。
これも何か意味深くないですか。